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2025 06.23
政治家の「手段」と「目的」

手段が目的化した政治を終わらせるとき

潜在成長率という言葉があります。すべての資源(労働・設備・技術)がフル活用されたときに無理なく成長できる最大のスピード、と表現できると思います。
潜在成長率を支えるのは重要な要素が労働力です。労働投入量、資本投入量、生産性です。労働投入量は地方が支えてきたのですが、地方はそれを支えきれなくなりました。そのために日本は世界で最も潜在成長率が低い国の一つになっています。

2024年の内閣府データによると、日本は0.6%。インドの7%はもとより中国、ASEAN諸国にも及びません。米国の2.1%、ユーロ圏の1.3%よりも下です。
将来成長する見込みがないから、足元の景気対策だけをやっていたのがこの30年でした。この30年、公共投資や経済対策に使った予算は何十兆円にも達します。少子化対策や地方の問題など、構造的課題に手を付けていたら日本の姿は違っていたと思います。残念ながら今も同じことをやっています。円安で輸入飼料が高くなったから補助金、ガソリンが高くなったから少しだけ安くする。もちろん大事なことではありますが、今日明日をしのぐためのカネの使い方しかできていないのが実情です。思い切ってこの構図を切り替える必要があります。

目先の予算を獲得するというのは政治家にとって重要なポイントだと思います。しかしそれは「手段」であって「目的」ではありません。いまの政治は目的よりも手段を優先しているように見えます。もっと言えば、有権者の方も手段の強弱でしか政治家を判断できなくなっているように思います。かといってそれは有権者の問題ではありません。なにより政治家の問題だと思います。

政治家は「目的」こそまず掲げるべきだと思います。15年後の日本をどうするか、50年後の日本をどうするか、100年後の日本をどうするかです。目先の「手段」で政治家を見るということは、政治の矮小化につながるように思います。

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